久々・・もどすの辛い  食い意地張るのはもうやめようと誓った日。

また、『菜もし』風の皿をひと品作ったが…。
バカ息子は夜遅く帰って好きなものだけつまんでほとんど残しおった。

いえ、そうじゃなくて、私の事。
 
例によって、レンコンのチップス油で揚げた。
しかし、古い油を使ったのが良くなかった。のか?
ただでさえ、今、体長はよろしくないのに、古い油の揚げ物。

その晩は良かった。
翌朝、バカ息子の残した皿にレンコンが残っておった。
昨晩もご多分にもれず一睡もできなくて、旦那がごそごそ始めた音で下に降りた。
具の薄いみそ汁と、昨晩の雑穀米(アサリのむき身シイタケニンジンの煮物入り)
を皿にとってつまんでおった。
私も皿に取って食べておった。
息子の残した皿からレンコンつまんで、(?)と思いつつ少し食べ、(口卑しいんだわ、私)ぼそぼそと食べとったんだけど、アサリが昨日の様にうまくない。
レンコンも古い脂っぽい。

などと考えているうちに気持ち悪くなってきた。
胃がもたれ初めて、「こりゃ、まずい」と早々に上にあがってベッドに寝転んだ。

しかし、しかしである、一向にムカつきが収まらない。
1時間ばかり横になっておったが、剛煮やして、意を決してトイレで吐いた。
でも、何か少ない。すっきりしないし。

塩水のんで、また横になるも、すぐにまたトイレへ。

計4回吐いた。
最後は胃液薄めるために水がぶ飲みして吐いた。
貝と古い油にあたったな、こりゃ。
はいてもちっともすっきりしやがらん。

旦那ときたら、ちらっと見て「塩なめるとええぞ」とぬかしてさっさと出社。

本当に、このうちで暮らすということは、孤独死覚悟しなくちゃね。
急に脳梗塞起こしても、誰も様子すら見に来ない。
二晩くらいは放っておかれる。
なんか気力が無くなって、死んでやろうか、と思う。
首つっても、二日はぶら下がったままだろうな。
気がつきもしないだろうな。
ここで暮らすということは、そういうこと。
私には、親身になってくれる家族はいない。
これじゃ、一人で暮らした方がましかも。

京都行きたいなあ。部屋借りて、できたら古い一戸建てのちっこいの借りて、ぼちぼち寺巡りなんぞしながら余生を送りたいなあ・・などと望んでみたりする。

お金さえありゃ、可能なのになあ。
ちっともすっきりしない胃袋抱えて、いっそおらんようになった方がこいつら自立するか?と思ったり。
死ぬ気なら何でもできるってか?なんて思ったり。
私の先行き、楽しい事何にもない。
希望が何にもない。
これって鬱かいな?
つくづく、孤独を感じた一日。
私はここで何をしている?
ちょっと気の持ちようが死に傾いていれば、首括っちゃうんだろうなあ。今だったら。
結局、私は何をやってきた?
あれだけ生きることに疑いを持たずに生きてきたのに。
生涯の先が見えてきた今、病気して体が不自由になって、直るかどうかわからん中で、私の人生は何やった?って考える。
三浦さんのエヴェレスト登頂成功。80歳でそんな山登るのって、どうなんだろう。
建築家の安藤忠雄、『アナザースカイ』で語っていた。
「人はいつまでも走り続けられる・・」
私は?
どう走ればいい?
仕事には本当は戻りたくない。
忙しいだけのやりがいのない仕事。つまらない。生きがいにできない仕事。
生きがいを見つけてこなかったしっぺ返しが来てる。
趣味もなし。
好きなこともない。
そりゃ、50過ぎても手習いできるだろう、でも、何をする?
ここにきて、死んでみたくなって、人生を思う。
他人に誇れる生き方をしてこなかった私は、別に誇れなくても、私はこう生きて来ましたって言える生き方をしてこなかった私は、このまま無作為に歳ばかりとっていくのか?
耐えられる?
自分の足跡、残したいねえ。今から、
いろんな仕事してきた。
理由のない自信、無鉄砲さ。私なら何とかなるという変な自信。
建築もダメだった。しょうがないから最後に残った介護、福祉士の資格を取って見たものの、飯の種にはならない。あんなの体力勝負。
体が弱れば勤まらない。
ケアマネは、介護の泥沼に足を突っ込む様で辞めた。
できればお金に繋がるものが良かったけど、今更それは無理だから。
自己満足の何か生きがいを見つけなくちゃ。

暴慢感で苦しむお腹、水も飲めない。
いつ、エズキが来るか、来たら、吐かないと、でも、吐くの辛いなあ。
で、一日寝てた。
息子に近くの自販でスポーツドリンク買ってきてもらってちびちび舐めて、脱水恐れながらそれでも、水分取れずに寝てた。
私の人生ってなんだったのだろうね。
きっとまだ40年くらいあるよ。
その40年、何をやろう。
死ぬ時は、自分に満足して死にたいね。

食い意地張るのはもうやめようと誓った日。

残り物に未練を残さず
    さっさと捨てよう、この季節